初代、下田春次は肥前塩田宿で、
文化財に指定される石像を数多く残す筒井幸右衛門の孫弟子になり、
「心を込めた仕事」を習い、石と親しみ、加工技術を向上させました。
大正13年佐賀市材木町に「下田石屋」を創業し、
墓石、鳥居、灯篭、記念碑、石像など手掛けてきました。
⇒官人橋親柱、正現社鳥居の写真
初代からの技術を引き継ぎ、
久保泉丸山古墳に展示納められている石棺の製作や
佐賀城本丸の礎石工事・佐賀城石垣の復元工事天保期の技術で
石を割り加工し、当時の積み方まで復元しています。
また、佐賀市が「その数、日本一」と宣伝している、
恵比須石像の修復や新しい恵比須像の制作も行っています。
初代も恵比須像の制作を手掛けていて、
戦後すぐの頃、進駐軍の将校が店先の恵比須像が気に入り、
アメリカへ持ち帰った事があったようです。
まだまだ、これからも技術を伝承し高めて行き、心を込めて石に向き合い、
心を込めてお客様の為に、より良いものを作り続けていきます。
「300年分の傷」きれいに
きれいなえびす様を見てもらいたい。
そんな思いから、手や顔などがかけたえびす様を
修復するボランティアを始めた。
手間はかさむが、
「観光客に喜んでもらいたい、街の活性化につながれば」と、
えびす様の持ち込みを呼びかけている。